009 富士山十二景(富士見百図初編)12 Mt. Fuji views (100 Mt. Fuji views Vol.1)
自序によると葛飾北斎の富嶽百景の構図の作為性に対して、まのあたりに眺望した富士の写生草稿であることを強調しています。当初は百景を意図し作成されたようですが実際に出版されたのはこの1巻のみといわれています。。人物を巧みに配した動きに溢れおり、富嶽三十六景以上にデフォルメされた遠近法を巧みに使っています。
008 富嶽百景 One hundred Mt. Fuji views
有名な富嶽三十六景の数年後の作品です。初編は天保五(1834)年、二編は天保六(1835)年刊です。初編の序文を北斎と親交があった柳亭種彦(代表作が『偽紫田舎源氏』の戯作家)が書いています。人物を巧みに配した動きに溢れおり、富嶽三十六景以上にデフォルメされた遠近法を巧みに使っています。
007 百富士 One hundred pictures of Mt. Fuji
河村岷雪が各地からみた富士山の風景を百図にまとめたもので、それぞれに俳句がついています。有名な北斎の「富嶽三十六景」、今回紹介する『富嶽百景』の中にもこの作品と構図的に近いものがあり、本書からヒントを得ていたといわれています。例えば橋の下に富士山を配した構図などがその代表です。
006 宇治茶御用道中図景 Uji tea ordering journal
江戸時代、毎年新茶の季節になると江戸城から行列を仕立てて茶壷が派遣され、宇治で将軍家御用の茶を詰めて持ち帰るのがならわしでした。宇治採茶使(うじさいちゃし)、いわゆる「お茶壷道中」です。行列の権威はすこぶる高く、もし道中行き会えばたとえ大名とて道を譲らねばなりません。一行を滞りなく通過させるための沿道の準備もおおごとで、毎年初夏の農繁期に作業に駆り出され、失敗でもあれば厳しく咎められるため、人々にとって物心両面で非常な負担であったことでしょう。
005 金生樹譜 Kinseiju Fu (Book of Money Making Trees)
江戸時代後期に刊行された、鉢植え・盆栽などの園芸指南書です。栽培の留意点を、様々な資料や詳しい挿絵を添えて、詳しく解説しています。
書名の「金生樹」は「カネのなる木」の意味で、万年青(おもと)・福寿草・橘・蘇鉄・南天・松葉蘭・石斛(せっこく)のこと。当時栽培が流行していたこれらの植物の名品が、法外な高値で取引されたことからの命名です。この本を読めば、高い値のつくような立派な鉢植えを栽培できますよという、著者の自信の表れでしょうか。
004 江戸名所花暦 Floral Calendar of Famous Places in the Edo era
本書は江戸時代後期の文政10(1827)年に刊行された、“江戸のお花見スポット”観光案内記です。春夏秋冬ごとに分類した42項目の花鳥風月の名所の見ごろ・見所・来歴などが挿し絵入りで記されています。
江戸時代は園芸趣味が身分の上下なく流行した時代です。その園芸趣味に刺激された人々は、それまで上層階級の風流な社交の場であったお花見という行事を、大衆の行楽へと押し広げてゆきました。
003 万花帖 Bankajyo
とりどりに咲く万の花の写生図をあつめた美しい画帖、『万花帖』。京の高名な本草学者・山本亡羊(ぼうよう)の六男である山本章夫(あきお)(1827~1903)が、江戸後期から明治にかけて描きためた植物の写生図を、二十四節気(にじゅうしせっき)(1年を24等分し、立春、大寒など時候に合った名をつけた陰暦の季節区分)ごとにまとめ画帖に仕立てたものです。
002 西尾八景 Eight beautiful scenes of Nishio
名所絵や風俗絵を得意とした尾張の絵師・小田切春江(おだぎりしゅんこう)(1810~1888)が、西尾の 8つの名勝を叙情豊かに描いた錦絵です。現在は「須田先盆之夕景」「蟲送之図」「伊文山の社」「祇園会御旅所」「寄住之松」「八面山の春興」の6図のみ (うち2枚は未完成)が残されています。
001 百万塔/無垢浄光経自心印陀羅尼 One million small pagodas & Mukujoukoukyoujishinindarani
古書の博物館、岩瀬文庫が所蔵する8万点を超える資料の中で最も古いのがこの百万塔です。百万塔といいますのは奈良時代の称徳(しょうとく)天皇が国家の安寧を願って、木製の小さな塔を百万器作らせ、この中に陀羅尼(だらに)というお経を収めて、法隆寺などのお寺へ収めたものです。