ようこそ「岩瀬文庫の世界」へ
1話3分、知の探検。
Iwase Bunko Library was established as a private library in Nishio city.
Yasuke Iwase, a wealthy merchant, used his own funds and opened IBL in 1908.
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〈天保四巳日記〉海獺談話図会
天保4(1833)年写
歌月庵喜笑(小田切春江)原著

 天保4(1833)年7月、尾張国名古屋で時ならぬ騒動がもちあがりました。台風の影響で熱田の新田の堤防が切れて海水が流入した所に、一頭の海獺(かいだつ)が迷い込んだのです。海獺はウミウソとも読み、アシカやオットセイなどの海獣類をさす漢名です。珍客来訪のうわさは瞬く間に名古屋中に広がりました。熱田の渡し場から現場の新田までシャトルバスよろしく見物客を運ぶ船が百とも千とも知れず押し寄せ、見物人でごった返した堤防は、その人たちのさす日傘の連なりで、遠くから見るとまるで幕を張り巡らせたようだったといいます。見物客を当て込んだ屋台などまで出店し、静かだった新田はにわかに繁華街と見まごうにぎわいとなりました。また堤防からの見物だけでなく、船をチャーターして海獺の側まで漕ぎ寄せる人たちもおり、水面に顔を出した海獺にいっせいにわっと群がる様は、捕鯨船もかくやという勢いだったそうです。また数日後には早くも名古屋城下の縁日で土で作られた海獺土人形(フィギュア)が売り出されたり、ぬいぐるみや張り子の海獺を用いた大道芸人が現れたり、海獺の記事を載せた刷り物が発行されたりなどと便乗商戦も行われ、もう大変なフィーバーです。すっかり名古屋の話題をさらったこの海獺、果ては漁師に捕獲されて、空き家の中に置いた海水をはった木瀬取(きせどり)舟で飼育され、見せ物としてデビューさせるため芸を仕込まれたそうです。

 この資料はその一連の海獺騒動を絵入りで記録したものです。原作者は歌月庵喜笑(かげつあんきしょう)、本名を小田切春江(おだぎりしゅんこう)といい、絵が上手で名古屋の風俗を伝える資料を多数残した尾張藩士です。巻末には、カラー印刷で出版する予定であったらしい「海獺之真図(うみをそのしんづ)」と題された一枚図が付されています。添えられた解説文には、体長6尺5寸(約197㎝)・体重30貫(約113㎏)、生きた魚を好んで食べ、夜は大イビキで眠った、などとあります。写生図を見た限りでは、この海獺の正体はアゴヒゲアザラシのように見えます。何年か前、多摩川に入り込んだアゴヒゲアザラシが大ブームになったことがありましたが、170年前の尾張名古屋でも、同様の「タマちゃん騒動」があったんですね。

 さて、本書は空き家で飼育されたところまでで記述が終わっていますが、この海獺のその後を他の記録からご紹介しておきましょう。芸を仕込まれ、一ヶ月後には腹を見せたりお手をするまでになって見世物に登場しましたが、見物人にさらされたストレスからでしょうか、デビューからわずか3日で死んでしまったそうです。