熱海温泉図彙
山東京山編
熱海温泉は、奈良時代に万巻上人(まんがんしょうにん)によって発見されたと伝わっている温泉です。慶長9年、1604年、時の権力者である徳川家康が息子であり後の尾張家の始祖義直(よしなお)、紀伊家の始祖頼宣(よりのぶ)を連れ、湯治に訪れたこともあって、大名や商人がこぞって訪れるようになります。
文政13年、1830年、江戸時代後期の戯作者として知られる山東京山(さんとうきょうざん)が息子の京水(きょうすい)を伴って、三廻り程の湯治に出かけます。三廻りとは7日を1周期として、それを3回繰り返すという、湯治としては基本的な入浴法です。その際の、江戸から熱海温泉への道のり、来由、功能、浴法、昼夜に三度沸くという湯潮、熱海七湯(野中(のなか)の湯、清左衛門(せいざえもん)の湯、平左衛門(へいざえもん)の湯、水湯、風呂の湯、左次郎(さじろう)の湯、河原の湯)、周辺の名所、土産物、旅店などについて、投宿先で記した案内記です。挿絵は当時15歳の京水がその大半を描いていますが、そのほかには渓斎英泉(けいさいえいせん)、歌川国安(うたがわくにやす)が描いています。