茶道具之記
近世初期写
天正3年、1575年10月頃に織田信長が全国の名物(めいぶつ)茶道具の調査を命じます。信長は京や堺の名物茶器を徹底して買い上げたり、恩賞として家臣へ与えるなど、茶道具を富と権力の象徴として戦略的に利用しています。この時期は、長篠の合戦に勝利し名実ともに天下人となりつつあるこの時期、信長は天下の名物の所在を掌握しようとしたのです。
この調査と信長自身の所持する茶道具をまとめて、翌4年、1576年に側近である松井友閑(まついゆうかん)らによって「天正3年名物記」と呼ばれる書が編さんされます。さらに2度の改訂を行っています。「天正4年名物記」、「天正5年名物記」と称すもので、これらを総称して「天正名物記」と呼ばれています。本書はこのうち一番初めの天正3年名物記の写本にあたりますが、これは写本も含め現在全国にこの1冊しか知られていません。もとは京の公家柳原家の蔵書で、堺の豪商、津田宗及(つだそうきゅう)が所持していた写本を写したと推測されています。
中には重複を含め358件の名物が記載されています。また、後半部分には天正13年2月上旬の秀吉様御物分を追加しています。こちらについてもこの本でしか知られていません。