三河美やげ
嘉永5年成立・安政4年写
市川某/著
嘉永5(1852)年、市川某という幕府の作事方(建設工事担当)のお役人が、岡崎の大樹寺や矢作橋の修復のため三河へやってきました。市川氏は、自らの仕事に関わる大樹寺や矢作橋、ならびに周辺寺社の由緒や工事記録などを丹念に書き留めました。それだけでなく、初めて訪れた三河で見聞きした様々な風俗~民謡の歌詞、とりどりのお店の看板、三河言葉、日用品や食べ物の物価、女性たちの髪型など~までも収録されています。
「三河美やげ」と名づけられた本書は、安政4(1857)年の4月に、やはり大樹寺修復に来た作事方役人が書き写し、いまに伝わりました。大樹寺から程近い、宿舎である慈光寺の部屋で、4月の上旬から中旬にかけて書写したと、巻末のメモ書きにあります。一日の仕事が終わり、宿舎へ帰って、明かりの下で物珍しい三河のあれこれを丹念に書き写すお役人の姿が想像され、なんだかほほえましくなってしまいますね。当時の三河の風俗をいきいきと伝えるばかりでなく、江戸からやって来た役人たちの、赴任地三河に対する好奇心までうかがえるような好い資料です。